2024年3月から6月にかけて、名古屋鉄道株式会社(以下、名鉄)が手掛ける沿線地域の魅力発信の取組「名鉄Emotion!」にて岡崎市が取り上げられました。そのメインビジュアルのロケ地となったのが松應寺横丁でした。名鉄の主要駅のポスターや電車の中吊り広告、テレビCMなどでご覧になった方も多いのではないでしょうか。
家康公が父君・松平広忠公を祀って建立した松應寺には、修復されたばかりの御廟所、木造のアーケード、本堂脇の珍しく白い花をつけるフジなどの見所のほか、戦後に境内に形成された闇市発祥の商店街の空き家を活用した個性的なお店も多く、これまでにテレビや雑誌をはじめ、たくさんのメディアで取り沙汰され、今や松應寺横丁は「岡崎の顔」の一つと言っても過言ではありません。
しかし、りたが地元の方々と共に活動を始めた2011年当時は、「知る人ぞ知る」存在でした。まちづくり的には「空き家活用」の先進事例として取り上げられることが多いものの、実は高齢者支援、地域包括ケアの分野でも先進的な取組が行われています。
まちづくり協議会設立から「にぎわい市」「なかみせ亭」
はじまりは2011年7月に遡ります。木造アーケードや路地に面した味わい深いまちなみに魅力を感じたりたスタッフからの働きかけにより、松本町町内会役員、松應寺住職、松本町年行司はじめ地域住民有志、そしてりたからなる「松本町活性会議」(後に「松應寺横丁まちづくり協議会に改組)が設立されました。同会は、まず町内の課題やニーズを把握するために、全町民を対象としたアンケート調査を実施。その結果を元に、横丁の認知度を高めるための縁日「松應寺横丁にぎわい市(以下、にぎわい市)」の開催や、横丁内の家屋の半数以上を占めていた空き家の活用推進などを盛り込んだ「松應寺横丁にぎわい基本計画」を策定しました。
同年11月に開催した第1回「にぎわい市」には想定を上回る1,000人以上の来場者があり、半年後の第2回「にぎわい市」にはさらに多くの人出となり、こうしたにぎわいを日常的に定着させるべく、空き家活用への取組に力が注がれることになりました。長年放置された空き家も多く、所有者の把握は難航しましたが、ようやく貸してもらえる空き家が見つかり、2012年9月、空き家活用第1号となる「松本なかみせ亭」を開設しました(愛知県「新しい公共支援事業」により改修資金を調達)。
追い風となった「あいちトリエンナーレ2013」
これらの活動がきっかけとなり、りたからの働きかけも奏功して松應寺横丁が「あいちトリエンナーレ2013(以下、AT2013)」の岡崎会場の一つに選ばれ、さらに3つの空き家が展示会場として活用されることになりました。2か月半の会期中には2.3万人もの人が市内外から訪れ、松應寺横丁の認知度が飛躍的に高まりました。横丁内の空き家を活用したいという人が増え、当初は難色を示していた地権者の空き家活用への抵抗感が払拭され、AT2013以降、約半年に1件のペースで空き家マッチングが進み、現在では横丁内にあった19軒の空き家のうち、15軒が活用されるまでになりました。
今どき珍しい⁉商店街組合の設立
2018年には、横丁内に新たにできた店舗と周辺の既存店舗からなる商店街組合「松應寺横丁まちづくり発展会」(会員数28)を設立。年2回のにぎわい市に代わり開催されるようになった毎月第3土曜日の「花まちフェスタ」やパンフレットの作成、鯉のぼりや七夕など季節の装飾などの活動費用はすべて会費から調達されるようになりました。加えて、木造アーケードの修繕や突発的な支出に備えて基金の積立を開始するなど、地域の発展と商店の発展の両立を図るため、毎月の定例会で地域住民と商店主が議論を重ねて今に至ります。
「岡崎の顔」となった松應寺横丁
2020年6月には、松應寺横丁が市政だより「おかざき」の表紙を飾り、2024年3月には「名鉄EMOTION!」のメインビジュアルとなりました。なかみせ亭開設当初は月200人程度だった来街者も、今では月5,000人ほど(いずれも概算値)となり、松應寺横丁は名実ともに「岡崎の顔」となったと言えます。