市民参加の20年 おとがわプロジェクトの5年

掲載号: りたらしい 103 号
発刊日 2020年5月
奈良井公園ワークショップ(2001年9月)    りぶら基本設計WS(2004年10月)    おとがわプロジェクトまちづくりWS(2015年10月)

2019年7月に籠田公園がリニューアルオープンし、11月には名鉄東岡崎駅の北東に複合商業施設「オトリバーサイドテラス」がグランドオープン、2020年3月には桜城橋が完成し、「QURUWA戦略*」に定められた拠点が相次いで姿を現し、まちの風景と人の流れが変わり始めています。
乙川リバーフロント地区(以下、RF地区)のまちづくり「おとがわプロジェクト」は、市民や事業者が水辺をより豊かに使いこなす「かわまちづくり」、遊休不動産を活用してまちの魅力を高めるコンテンツを生み出す「リノベーションまちづくり」、道路・河川などの公共空間のより魅力的な使い方を試す「社会実験」、そして民間事業者の投資を呼び込み公と民とが責任と役割を分担・連携する「公民連携まちづくり」など、複合的な手法が用いられていることで全国から注目を浴びています。
その多様な展開の背景で、初動期より精力的な市民参加が行われていたことはあまり知られていません。本稿では、5年間のおとがわプロジェクトの市民参加の側面とりたの役割を通じて、この20年のまちづくりに求められる市民の関わりの変化についてお伝えします。

*QURUWA戦略:RF地区内の豊富な公共空間を活用した公民連携プロジェクトの実施を通じて、主要回遊動線QURUWAの回遊性を高め、暮らしの質とエリアの価値の向上を図る戦略。

市民参加から市民主体のまちづくりへ

 りたは、その前身(りた職員の三矢、天野が立ち上げた岡崎CDC研究会、以下、OCDC研)時代より、岡崎市で初めて市民参加のワークショップが導入された奈良井公園の再整備(1999年~)を皮切りに、図書館交流プラザ・りぶら(2004年~)や、よりなん(2005年~)・むらさきかん(2007年~)・悠紀の里(2010年~)の3つの地域交流センターなど、市内の公共施設計画への市民参加のコーディネートを担ってきました。この時期の市民参加は、行政計画を様々な立場、視点で確認し、計画の中身がより良くなるように提案することが主な役割で、計画を責任を持って実現するのはあくまで行政でした。
 しかし、2015年から始まった「おとがわプロジェクト」において、市民参加のまちづくりは新しい局面を迎えることとなりました。

●「おとがわプロジェクト」立ち上げの経緯

 2014年8月、5年間で約100億円を投じるRF地区整備の計画が発表された際、その費用のインパクトもあり、賛否が巻き起こりました。そんな中、岡崎市からりたに、RF計画により再整備される中央緑道の設計プランを検討するワークショップの企画・運営業務の打診を受けました。りぶらの計画時もそうでしたが、大規模な公共事業には、とかく厳しい声が寄せられます。そうした状況下で自由参加のワークショップを行うと、計画に懐疑的な層が反対意見を表明する場となって、しばしば建設的な議論ができないこともあります。一方で、多様な意見やニーズに対して、リソースは限られているため行政がすべてを受け止めることは不可能で、せっかくのアイディアも実現に至らないことが少なくありません。
 そこでりたのような中間支援者には、反対意見にも耳を傾け、既存の計画内容から動かしがたい部分と変更や修正の余地のある部分を整理し、対話の土俵を整えること、参加者が本当にやりたいこと、やるべきことを実現に向けて道筋をつけることが求められます。
 上記案件に関して、りたは市の担当者と協議を重ね、議論の対象を中央緑道に限定するのではなくRF計画に広げ、提案にとどまらず自ら行動・実践することを前提としてプロジェクトを進める方向性を合意しました。こうして、通称「おとがわプロジェクト」が立ち上がりました。行政にとっては市民提案を受け止める裁量を担保する必要があり、市民にとってはやりがいと同時に責任が問われるという点で、りたにとっても未知の領域でした。

●議論の土台を整える

おとがわプロジェクトの幕開けを告げるチラシ
シャレットで提案されたプラン・模型を市役所ロビーで展示

 RF計画には、乙川河川敷の園路と籠田公園から乙川をつなぐ中央緑道の再整備、人道橋の新設などが盛り込まれていましたが、費用を算出するためにつくられた初期のプランにはまだ詳細を検討する余地がありました。また、どのような将来像を目指すのか、そのためにどのようなプロジェクトを実施するのか、どの程度の意見を反映することができるのかなど、市民に見えづらい点が課題でした。そこで、模型を用いて空間イメージを提示しながら具体的に提案を練るWS手法に定評のある建築・都市デザインの専門家・藤村龍至氏(現・東京藝術大学)の協力を仰ぎ、RF計画の全体像と中央緑道や太陽の城跡地の将来像のバリエーションを示しながら、おとがわプロジェクトへの関心や期待感を高める短期集中型WS「岡崎デザインシャレット」(市内外の建築学生が市民や行政職員の意見を聞きながら計画案を作成)を開催。ついで、賛成、反対を問わず、関心のあるテーマについて議論し、市民が自ら実行するプロジェクトを検討するWSを実施。並行して、より現実的かつ創造的な提案の手がかりを得るために、他地域の事例に学ぶシンポジウムを開催しました。
 市民参加のWSには、比較的時間に余裕のあるシニア層の割合が高くなる傾向にありますが、これからのまちづくりを背負って立つ若い層に訴求するよう広報物のデザインを工夫したほか、RF計画の策定に尽力された岡崎活性化本部や中心市街地の商業活性化を担う(株)まちづくり岡崎と連携し、より幅広い層へのアプローチを図った結果、計3回のWSに述べ300人を超える多様な参加者が集まり、具体的なプロジェクトの提案が生まれ、おとがわプロジェクトの推進力が醸成されていきました。

●提案から実現への橋渡し

 市民提案を実行に移すにあたり、行政から民間に補助金を出すのではなく、必要な費用は自ら捻出することを前提として実施者を募るプロジェクト「かわまちづくり」や「リノベーションまちづくり」が次なる舞台となりました。
 ただし、それまで個人や非営利の市民団体のコーディネートが主であったりたにとって、民間事業者が収益を上げながらまちを活性化する手法は未知の領域でした。そこで、かわまちづくりの先駆者であるハートビートプランの泉英明氏、リノベーションまちづくりの第一人者の清水義次氏に協力を仰ぎ、水辺活用の社会実験「おとがワ!ンダーランド」、遊休不動産を活用して必要な収益を上げながらエリアの価値を高めるプロジェクトを立案・実践する「リノベーションスクール」の実施にこぎつけました(それぞれ初動の概略については、本誌82号、84号参照)。その過程においては、集客や収益が伸びなかったり、予定通りプロジェクトが進展しないなど、多くの困難がありましたが、5年の月日を経て、市民の提案が市民の手により徐々に現実のものとなり、乙川や籠田公園周辺では日常の風景の変化が確かなものになってきました。

おとがワ!ンダーランドで実施されたSUPクルーズ

●市民参加から市民・民間主体のまちづくりへ

 市民参加黎明期の90年代後半、国内では岡崎市に限らず行政にとって市民参加の場はクレームや批判を浴び、建設的な議論が成立しないとの見方から敬遠されていました。一方、市民にとっては行政に対して意見を伝える場がなかったことから、自由に発言できるWSがここぞとばかりに批判をする場と化すこともありました。
 99年にOCDC研が自主的に奈良井公園の再整備を考えるワークショップを開催し、適切な情報と議論の段取り、間を取り持つファシリテーターにより、市民と行政は対立関係ではなく協働関係が築けることを実証しました。2000年代に入ると、公共計画への市民参加が一般的になっていきますが、当時の市民参加は、あくまで行政の枠組みの中に市民の意見を(部分的に)取り入れるというものでした。
 そうした経緯を踏まえると、おとがわプロジェクトにおける市民の役割は、意見や提案をすることにとどまらず、行政が基盤を整えたうえで、市民・事業者が主体となり、自らの活動にとっても、周辺エリアにとってもプラスとなる(たとえ市場性がなくとも新たな市場を生み出す)事業を責任をもって実現する、という関わりの度合いが格段に深化したといえます。
 今後、志ある事業者が主役となる公民連携まちづくりが本格化していきますが、りたはこれからも地域の課題を解決したり、魅力を磨き、まちへの愛着と関わりを深められる市民主体のまちづくりを支援していきます。